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ふざけてる人のふざけてないブログ

日本語ラップ.xyzというサイトの管理人の独り言。 Twitterが向いていないので、こっちに書くことにした。このブログはギャグとか全然かまさない予定なので面白くありません。

個性と多様性について

ところで、個性とは、作品を決める価値観の一つである。完成度とは異なるベクトルの要素だ。私は、映画館に行って映画を見るとき、一応、ヤフー映画の評価をチラ見する。大体、☆3.5くらいだったら、大丈夫だろうと思って見に行くが、面白い時と、微妙な時がある。それは、多くの人が☆3.5をつけた場合と、☆5と☆2くらいが半分半分くらいの場合(賛否両論の状態)の2種類があるからだ。その場合、賛否両論になってる方が面白かったりする。賛否両論の状態というのは、個性の問題だ。個人の感性の問題だ。人によって受け取り方が違うから、批評にも差が生じてくる。今日は、そんなことを、ここに書き記す。多分、この後、人によっては、くっそ面白くない話をする。ここに書いてあるのは、大体、私の経験則や学んだことに基づいて書いてる。私は何度も失敗してる。憧れてるのはセガールだけど、何故か、「ジョン・マクレーン」コースに片足突っ込んでいる気がしてならない。そんな奴の話、聞きたくないという方は、ブラウザバックで構わない。


さて、映画の話を引き合いに出したのだから、私の好きな映画の話をしようか。もし、誰かに「好きな映画は何ですか?」と聞かれたら私は「ハリーポッターです。」と言うことにしている。"言うことにしている"ということは、これは、表向きの答えだ。「じゃあ、本当は何なんですか?」と言われたならこう答える。「最終絶叫計画4」が好きだと。何故、本当の事を言わないのかと言えば、内容を知っている人なら、明白であるが、下ネタとブラックジョークの連発だからだ。完全に、人を選ぶ映画なので、人に気軽に薦められない。人によっては、その後の付き合いで、人格を疑われる可能性がある。まともな女性はドン引きする。絶対、デートなんかで見たら空気が凍りつくこと間違いなしだ。そんな映画を、死ぬほど笑って見ている私は、意識他界系だ。意識高い系とは住む次元が違うので、そっちが逝ってくれないと、分かり合えそうもない。意識他界系と意識高い系。この2つはどうしたって開きがある。スタバでMacBookを開いて、日経ビジネスオンラインを見ているのが意識高い系。その横で、スタバのWi-Fiをタダ乗りして、スマホ探偵ファイルを見ているのが意識他界系だ。(これは冗談だ。本当にはやってないぞ。)そして、点と点が線で結ばれることは無いだろう。そんな異なる人種が、「最終絶叫計画4」を見たら、相反する意見が出るはずだ。高い系は「最低」といい、他界系は「最高」と言うことだろう。この意見が統一されることは無いと思う。意識他界系の私は、皆が、「最終絶叫計画4」を好きだと言ってくれたら嬉しいという気持ちはある。ブラックジョークと下ネタを抜きにしたら、パロディとしての作品の繋ぎ方や、ふざけ方のスキルは高い。普通にユーモアセンスのある面白い映画だと思うからだ。でも、感性の違いによる評価の違いというのは、どうすることも出来ない。嫌いなものは嫌いなのだから、しょうがない。もしも、私が意識高い系と映画の話をしないといけないなら、「ハリーポッター」の話は振っても大丈夫じゃないかと思っている。多くの人が周知していて、評価されている作品だからだ。大人から子供まで見ることが出来るし、えげつない表現方法をしている訳でも無い。USJにアトラクションあるくらいだし…。ある程度の評価は確保されている作品群だと思う。このように、好き嫌いには個性が強く関係してくる。もし、何か作品を作る時、多くの人に好かれるには、相反する個性を持った人の中間を狙うことになる。それは、最も共感しやすい面白さといえる。それは、基本に基づいて、誰でも理解出来るものを選択するということである。そして、妥協点まで個性を削ることでもある。(こういうのを、ボリュームゾーンを狙う…って表現すると、少し意識高い系になれるw)その反対は、個性的になると言うことだ。理解力や共感を、ある一定の層に絞ることにはなるが、個性に注力することで、作品の面白さに深みがでる。前に、Amazonの話をどこかでしたが、Amazonは優秀なインターフェースである。ボリュームゾーンを中心に探している商品を狙い打ちして、私達にその情報を提供する。だからこそ、多くの人に普及している。でも、そのAmazonには弱点もある。ある程度の幅広さがあっても、専門的な知識の必要な商品の幅の広さは専門店に劣るという点だ。職人さんがもし、道具を買うなら、Amazonで道具を探すより、専門店で探した方が用が足りることの方が多いだろう。凡庸性の高い道具だけでは、施工は出来ないからだ。つまりは、Amazonでは、カバーしきれない需要があると言うことなのだ。ホームセンターで言うなら、コーナンに行くより、コーナンProの方が、職人さんの利用率が高いだろう。要は、顧客の特性によって利用店舗が変わるということなのだ。そう考えれば、映画だって変わらない。作品の個性も顧客の特性の違いも対して差は無いと思う。作品の個性によって見るファン層が違うだけなのだ。個性を批評するのは、需要の違いを批評するようなものだ。だから、そこを批評するということはナンセンスじゃないかと思う。そりゃ、店だって、値段が高いとか、サービスがどうのとか、指摘しようとすれば、いくらでも指摘出来るが、それは、完成度の問題だ。そこは、高めていく必要のある部分だから、指摘されても仕方がない。それこそ、お客様の声というのは、そういう部分の指摘の為にあるからだ。一つ難しい事例を挙げる。例えば、重い商品を購入したのに、外にある車まで運んでくれないというクレームがあった場合、それは、対応しかねる部分もある。仮に、それが、お年寄りだとしても、一度それを許可したら、企業はサービスとして平等に提供しつづけなければならないからだ。それは、労働作業として従業員に追加される。お客様の声を、実現するほど、従業員の仕事が増える。でも、従業員の給与はなかなか上がらない。お客様満足度と従業員の満足度は比例していかない事が多い。それは、そういったクレームは利益に関するものでありながら、利益に直接的に結び付くものではないからだ。モラルや人間性の面で言えば、手伝ってあげる方が人道的なことは、従業員はみんな分かっている。でも、それをやりだしたら、きりがない。だから、従業員の時は誰も手伝わない。従業員が疲弊していくだけなのだ。個性について、批評するのがナンセンスだと思うのは、相手の立場を考えないで、自分の物差しで、作品のセンスの良し悪しを決めている部分があるからだ。それは、もう自己満でしかないのではないだろうか。別に、嫌いでも、良いのだけれど、そこを作品の良し悪しに結び付けてはいけないと思っている。私は「バイオハザード」シリーズが好きなのだけど、あれは、物語の繋ぎが滅茶苦茶だったり、辻褄が合わない部分がいっぱいある。それは、「バイオハザード」シリーズとして見たときの欠点かもしれない。しかし、「アリス応援上映」として見れば、関係無いのだ。アリスが無双してくれてさえいれば、私は、満足だ。たまに、批評とか見ていると、別にそこまで言わなくても良いのにと思うものがある。まあ、私がそこまで拘りが無いからかもしれない。「ディープ・ライジング・コンクエスト」で喜んでるので、雑食過ぎて何でも喜んで見れる可能性がある。(飽きたら、音声消して自分で吹き替えて遊べばいいし…)私が批評を書いても何の参考にもならない。ほぼ、「ウケる」しか書かない…
中学校くらいまでは、美術って有ったと思うんだが、あれって結構大変だった記憶はないだろうか。時間かかるし、絵が書くの嫌いな人は地獄の時間だと思う。仮に、好きな人でも、時間はかけてるし、労力は使ってる訳だから、大変な事だろう。だから、あまり、個性は否定しないで、認めて上げたらいいのになと思ってる。単に、自分のチャンネルと違う所に趣向があったというだけの話なのだから、そこを攻撃的に指摘してはいけない。こう言いつつも、自分もやってそうなので、人の事あまり言えないかもしれない。何が、言いたいかと言うと、あまり、個性を攻撃的に否定するようなことを言わない方が良いという話だ。CIA捜査官、すぐショットガンでどうにかしようとする悪い癖があるけどw人の子だから、みんなには仲良くして欲しいんだ。多様性が無ければ、つまらなくなる。何かを否定したら、世の中が単調になっちゃう気がするんだ。それって楽しくないと思う。

最後まで読んでくれた君たちには感謝だ。ありがとう。

追伸…私に予算をくれたら90%の人が☆1で、10%の人が☆5の評価をくれる映画を作る。そして、続編は10%の変態達と一緒に作りたい。そして、99%の人が…(略)目指したいのは、糞映画スパイラルだ!(製作過程をドキュメント映画にしたら、90%の人が高評価をくれると思うw絶対、面白いと思うんだよね。)

以上