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ふざけてる人のふざけてないブログ

日本語ラップ.xyzというサイトの管理人の独り言。 Twitterが向いていないので、こっちに書くことにした。このブログはギャグとか全然かまさない予定なので面白くありません。

Twitterで本音ばかり書いちゃう理由を考える。

CIAの方のブログ( http://xn--9ckxbwcz403azlbtz6h.xyz/ )を更新しようと思ってたのだが、昨日一日中、twitterが本音になりやすい理由を考えていたら、そちらの方が、頭のなかで、記事レベルの量になってしまったので、雑記と自戒として書くことにする。

本音feat般若/DOTAMA

本音 feat. 般若

本音 feat. 般若

  • DOTAMA
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥250

この曲はタイトル通り「本音」について歌っている曲だ。

私は、昨日、この曲を聞いてふと考えてしまった。
自分は、「twitterをやっても、そんなに本音なんて呟かないし、余裕、マジ余裕。前前前世から、建前しか言ってないし。」ぐらいの気持ちだったのに、いざやってみたら、「うわっ」って思うくらい、自分語りと本音を呟いていた…来来来世に影響が有りそうなので、その時のツイートを全部、消した(笑)

そして、その時、気付いてしまった。twitterで「用法用量守って」って、実はめちゃくちゃ難しいんじゃないかということに。

わざわざ、他人の曲の引用ではじめているが、この記事の内容は、ほぼ「twitterって本音を呟いちゃうのは何でだろう」ということの検証と考察、そして、自戒と懺悔といった所だ。曲の感想とかほぼ皆無なので、何かの間違えで読んでしまった人は、ここでブラウザバックしてほしい。もし、私がDOTAMA BESTを聞いた感想を知りたいという物好きな人がいたら、こちらのサイト( http://xn--9ckxbwcz403azlbtz6h.xyz/ )を見てほしい。

まず、私がtwitterをはじめた理由は、紛れもなく自分のサイトの宣伝のためだ。誤魔化して好感度を上げるつもりなんてさらさらまともに無いから、そこは、はっきり言っておく。私は、何事も「三日坊主」な所がある。続けて行くには、きっと何でもいいから呟かないと止めそう。という不安感から、頭の中にあったフラストレーションをtwitterにパッと解放してしまっていた。そこには、いけない欲望が渦巻いてたとしか言いようがない。

そして、振り返ってみたら、お台場まで冒険してたような内容で語尾にww生やしていた。ていうか、暴言を吐いていたし、証言よりかけるぜ黄色い小便だ。って感じだった。寝言だからって言って済ましたかった。というのが私の本音だ。
その後は「うわっ、私のツイート、モラル低すぎっ!!」と、何処かのネット広告ばりに、驚愕し、ツイート全削除をしたあと、妙に冷静になり、「ツイート本音化現象」を一人で分析することにした。(風呂場で4時間程)

一体、何故、twitterってぶっちゃけちゃう傾向があるんだろうか。

第一の原因として、文量が、挙げられる。140文字って、文章を書くには少な過ぎる。

そもそも、がっつり、文章を書くツールじゃないから当たり前の事なのだが、すぐ、規定の文字数まで到達してしまうことが、多々あり、不便だと思っていた。但し、これは書き方の性格も大きく関係しているだろう。

例えば、文章の書き方が①「結論はCだ。AがBであるが故に。」という書き方の人と、②「AがBである故にCだ。」という書き方の人では、前者(①)の方が、ツイートにした時、物言いが直球になりやすく感じる。理由は、140字に到達するまでに、結論に文字数を取ってしまい、"故に"の部分の文章を削ってしまいがちになるからだ。"故に"というのは、言い換えれば、"本音"の部分である。その文章を削る程、自分の発する言葉への感情がより、直線的なものとなり、あらわになりやすい。つまり、人の本質が目につきやすくなる。

ツイッターの文章に、言葉の角度を量る分度器を当てたら、普段120°くらいある人でも、60°くらいまで角度が狭まってしまうことは良くあるのだろう。話すテーマ、内容を極力絞り、見方の方向性を単一化し、出来るだけ、無駄の省いた文章を書く。そうなると、確実に何処からか、批判も浴びやすくなる。別な見方をして、同じ事象を呟いている人がいるからだ。そもそも、一つのテーマについて、論ずる時、140字では、不具合が生じやすい。何時まで経っても、意図が伝わりづらく、誰かと水掛け論になってしまうことが多いのではないだろうか。まあ、twitterが意思の交流の場であると考えれば、こういう水掛け論もアリと言えるが。

自分の全消ししたツイートを、振り返ってみると、文章形式が①の形だった。ツイートは出来る限り②の方式にした方がいいのかもしれない。何か述べる時は、結論をシンプルに持って行った方が良い。

良く考えて見たのだが、Twitterで何か"論ずる"行為をするのは、綱渡り的な危険がある。ツイートで、一方に偏らず、自分の意見を言うのは、難しい。私みたいにグダグダ書いちゃう系の人間には、ホントにとても難しい。フリースタイルが得意な人。特に、一発のパンチラインで凄い上手いこと言える人。そういう人は、Twitter向きかもしれない。短い文章でも、核心部をつけるから、失言による事故率も下がる。その逆、沢山の文章によって核心部を支えるタイプの人間は、Twitterは向いていない。所謂、ストレートよりジャブ派の人のことである。ジャブばっか撃っちゃうと、140字オーバーになる上に、言葉がはし切れにやりやすい。はし切れは、どうしても意図が伝わらないから、批判を受けやすくなる。

私はジャブ派の人間だ。対策するなら、Twitterでは論じるのを止めるしかないかもしれない。あらゆる事に意見しないアカウントにして、日常のどうでも良いことをポツポツ上げる程度にしないと、人を不快にさせそうだ。

ここまで述べたが、まだ「文量」の問題しか、私は、取り扱っていない。ジャブを撃ちすぎて、お腹いっぱいにさせてそうだが、次の第二の原因に移ろう。

第二の原因として、匿名性が挙げられる。Twitterは、フォロワーがいないと、誰も見ていないと油断しがちだ。ため息混じりの、日常の雑踏に、混じっては消えてくはずだった感情を、電子の海に吐き捨てることで、そこに爪痕を残している感覚が、欠如しがちだ。しかし、知らぬ間に電子の海で、私達は、爪を研いでしまっている。発言が鋭い武器のように尖っていないか注意しなければならないのだ。

私は、意見を論じない日常系アカウントにしてしまうことを決意したが、そこにも落とし穴がある。各個人の日常は、その人の主観性を持って語られる。だが、その主観性が、倫理的かつ社会性に沿うものかの判断は、客観によってもたらされるのだ。つまり、どう見えているか、常に、考えないと、日常すら、批判の対象となり得てしまう。(要約:Twitterって、頭痛いだけじゃん。)自分の日常が、大体、不謹慎な事を考えてる人間にとって、それは、面倒くさい以外の何者でもない。何処かの雪の女王は、「ありのままでー」と言っていたが、それだと、不都合が生じてしまう。それが、社会だ。
面倒くさくても、どうにかしないと、ありのままで色んな人を不愉快にしちゃう人種が世の中には存在してるんだよ。(私のように。)申しわけNAIKA MCとか、ごめんなサイモンジャップで済むならいいけど、一発しかハンドガンで撃ってないのに、世間は4発くらい弾道ミサイルで返してくるんだよ。(自業自得だけどね。)

さて、色々考えていると、もう、Twitterが何も呟けないツールに思えてくる。ハリーポッターで言う所の憂いの篩にも使えそうにない。ダンブルドアが普通に羨ましい。(そうじゃろ。ワシも普通にそう思うぞ。)

書いてるときに、急にクリスマスの曲を、思い出したので、引用しておく。
「だったら、何を歌えば良い?俺らは何を歌えばいい?」
「来年事故って死ぬかもしれない、そういう歌を僕は歌いたい。」

そうだ。もう、有りそうでなさそうな、壮大な野望でも語っておこう。(世界有数のセガール拳の使い手になるとか…世界を変える風になるとか…)誰も、批判のしようが無いから、呆れて帰る……

駄目じゃん。
宣伝の意味が無いじゃん。

もう、どうすりゃいいんだよ。

パトラッシュ、もう疲れたよ。ハイジでもペータでも晋平太さんでもいいから助けて欲しいよ。

晋平太「拙者が運転者。」

そうだ、もう、揺るぎない事実だけ述べていこう。拙者が運転者。拙者が宣伝者。拙者が…

MC漢「運転者とかねぇから、運転手だし。」

よし、アカウント消そ(笑)

小芝居挟んで、話が飛んでしまった感が否めない。申しわけNAIKA MC。ごめんなサイモンジャップ。

まあ、つまり、Twitterは、ドレスコードが無いように見えて実は、あったりするという話がしたかったんだ。トレンチコートマフィア状態で行くと、怪我をする可能性が高い。ラストパーティーは永遠にだ。眼鏡は掛けなくても良いから、フォーマルな格好しておいた方が良い。そのぐらいの気持ちで触っておけば、怪我をする確率は、かなり低くなる。

そして、どう考えても、Twitterより、長文ブログ向きな私は、一体何を呟けばいいのかという話だが…



MC松島ポーズで「こんにちは」しか呟く事が無いんじゃないかという結論に至った。

以上。

何かの間違いで、最後まで読んじゃった優しい人達に感謝を述べておく。ありがとう。